賞罰教育その3

こんばんは

 

てっちゃんです。

 

褒めるではなく認める、という話を前回しました。なぜ褒めてはいけないのか。

 

理由は単純です。「褒めてもらうこと」が「目的」となるからです。

 

例えばあなたはとても絵を描くのが好きです。誰にも見せず、ひたすらに絵を描き続けていました。ある日とある人がその絵を10000円で買いたいと言います。そんな評価を受けるとは思っていなかったあなたは、10000円で売ります。自分の絵が認められ、嬉しい思いでいっぱいです。ますます頑張ろうと思います。次の日もその人はやってきます。また別の絵を50000円で買いたいと言います。当然売りますよね。

そんなことが1週間続いたとします。

突然にその人が来なくなりました。

あなたの絵を買ってくれる人はいなくなりました。

それでも、あなたは以前と同じモチベーションを持って、絵を描けますか?

よく考えてみてください。

 

「売れる絵を描きたい」「あの人に買ってもらえる絵を描きたい」「あの人に認めてもらえる絵を描きたい」

そう思いませんか?

 

いつしか、「自分が描きたい絵」から、「人に認められる絵」へと変わっていくのです。

自分が評価されるのは「良い絵」を描いたからなのです。決してあなたが頑張ったからではありません。

 

子どもも同じです。片付けもお手伝いも自分がしたいからしてるのです。それを、すごいね!と褒めると、褒められることが目的になります。

褒められることが目的になるということは、褒められなければしない、ということに繋がります。

 

褒めてするのなら、しないよりマシではないか、という意見もありますが、大人になった時全ての行動について褒めてくれる人はいないでしょう。

 

教育心理学では、このことを、内発的動機・外発的動機と呼び、内発的動機が大切であるとします。

 

褒めるというのは、ご褒美(これができたらこれをあげる)というのも含みます。ご褒美は外発的動機の代表格ですよね。

 

褒めるではなく、認める。

認めるというのは、承認欲求を満たすということ。それはすなわち貢献感を満たすということです。

それを表す言葉は、「すごいね」「何でもできるね」ではありません。

 

「ありがとう」です。

 

この話題は明日に最後の補足をして終わりにします。

 

お読みいただきありがとうございます!

賞罰教育その2

こんばんは

 

てっちゃんです。

休みは早いもので明日からまた仕事ですね。家族とゆっくり時間を過ごせて良い休日でした。土日2日まるまるとも家族と過ごしたのは3週間ぶりでした。良い休日があると、生活が満たされますね。

 

さて、一昨日賞罰教育について書きました。褒めるのが良いのか、叱るのが良いのか。僕はそのどちらも違うと思っている、という話でした。

 

うちの息子は、片付けも率先して自分でしますし、お手伝いもするどころか、させないと怒るくらいです笑

 

どうして、そうできるようになったのか。僕が意識している点は2つです。

・褒めるではなく、「認める」

・片付けなどすべては「大人の仕事」

 

どちらも同じ意味にはなりますが、具体的にみていきましょう。

 

例えば、息子がおもちゃで遊んだ後、お出かけなどで遊びを終わらないといけない時。今からお出かけをするから、ないないをしようね、と声をかけます。

「片付けをしなさい」という命令ではなく、あくまでも親が片付けるべき、という視点を本気で持ちます。

 

そして、息子にこれはどこに片付けるの?と聞いたり、これ片付けてくれる?と聞いたりします。もし息子が正しい場所で片付けたら、「すごいねー!」ではなく、「ありがとう」と言います。もし、間違えていたり、片付けがきちんとできなくても、叱りません。大人が片付けるべきところを息子は手伝ってくれているだけだからです。ですから、「それで合ってるかな?」「ここに片付けるんじゃなかった?」などと言います。大人相手なら、手伝ってくれた相手に対してうまくいかなくても怒ったりしませんよね?それと同じなのです。

 

万事が全てそうです。手伝ってくれたことに対して、それはとても助かった。感謝している、と伝えます。つまりは、この子にとって、正しくできたかどうかではなく、片付けという行為そのものが好ましいものかどうかのみを示します。

 

では、なぜ褒めてはいけないのか。

褒めることでも、片付けが好ましいことは示せます。

むしろ、褒めることは子どもにとってモチベーションになるのでは?

 

これについてはまた次回!

好きこそものの…

こんばんは

 

てっちゃんです。

 

昨日の賞罰教育は、明日に延期して、今日の出来事を書きます。

 

うちの息子は新幹線が大好き。電車も好きで街で見かけるたびに、あ!と指をさして喜びます。

今日は妻と息子と駅まで行って、入場券を購入し、ホームで新幹線を眺めました。

 

数分おきにくる電車に大興奮の妻と息子、そして僕。真剣な姿の車掌さんもかっこよく、発車間際にちらっと一瞥をくれ、手を振ってくれます。

 

そんな中で印象的だった車掌さんが1人います。その車掌さんの行動が100%正解だったとは思いません。でも、とてもかっこよかった。ルール以上に大切なものがあるって感じました。

 

その車掌さん、降りてきて下車されるお客さんを確認した後に、うちの息子に話しかけてくれました。そして、記念カードのようなものをくれました。これがどういうカードなのか分かりませんが、全員がくれた訳ではないので、そういうマニュアルがある訳ではなく、この車掌さん独自の判断なのでしょう。そして、「僕も新幹線が大好きです。君が新幹線が好きでいてくれて、とても嬉しい」と話してくれました。うちの妻が「いつか車掌さんになるんだね」と息子に話しかけると、「そうか、じゃあ待ってるね」と言って、手を振ってくれました。

 

仕事の時間に独自の判断でカードを渡した。このことが業務時間中のルールが厳しいJR的にいいのかどうか、僕にはわかりません。

でも、子どもに自分の仕事を誇れる車掌さん、とてもかっこよかったです。もしお名前を確認していたら、ご連絡したいくらいに感動しました。頂いたカードは、息子の宝物です。

車掌という仕事が好きで頑張ってたあの人、好きだからこそ人に優しくできる、好きだからこそ胸を張れる、そういう姿が眩しかったです。

 

好きこそものの…にはうまく繋がりませんが。好きなものの魅力を多くの人に知ってもらうこと、それも大切な仕事の1つだと思いました。

大変な仕事だと思いますが、ちょっと手を振ってもらえるだけで子どもは喜びます。そういうサービスが、少しでも広まると、より明るい社会になりそうですね。

 

 

 

賞罰教育

こんばんは

 

1歳半の息子を持つ父親、てっちゃんです。

 

近頃ツイッターを見ていて思うところがあったので、今日は賞罰教育について書いてみます。

 

子育てといえば、「褒める子育て」か「叱る子育て」か、どちらが優れているのか、という議論がよく行われます。

特に最近、褒める子育て、の論として、「褒めることで、方向性が正しいことを示す」といったものがツイッターで拡散してるのを見ました。

 

僕自身は、子どもを褒めたことはまだ一度もありません。にも関わらず、1歳半の息子は、自分で片付けができます。パズルもできるし、車の名前もたくさん覚えています。ご飯の時になれば、自分で食器を運ぶと言いますし、オムツを換えれば自分でオムツを捨てに行きます。

それら全てに、「すごいね!」「賢いね!」と言ったことは一度もありません。

 

 

 では、かといって厳しく叱りつけ、「片付けなさい!」と言ったこともありません。叱る時は、どうしても危ないことをした時や、危険ではないが、子どもには触れさせたくないものをしつこく触った時だけ、「ダメなものはダメ」の論理で強く叱ります。片付け・手伝い・その他全て強制させたことは一度もありません。

 

 

では一体、どうやって褒めもせず叱りもせず子どもを育てるのか。

それはまた明日書くことにします

残業

こんばんは

 

てっちゃんです。

 

毎日更新しようと思うも2日目から頓挫です。

 

というのも、終電で帰るほどの残業でした。

自分がすべき仕事ではない、というか本来の担当者がいる仕事をしていました。

ややこしいのは、その担当者より自分がその道に詳しいということ。結局その担当者ではできないので、自ら買って出てその仕事をしたというわけです。

 

明日は早起きして、また作業の続きです。がんばりましょー

 

おやすみです